2013年11月11日

■ 話を聴くということ (川崎)

 友人が、「傾聴ボランティア」の入門セミナーを受けてきたそうです。

 傾聴ボランティアというのは、「だれかに話を聴いてほしい」という人の話し相手になるボランティアのことで、震災などを通じてだいぶ普及してきたようです。
 大震災などの辛い体験は、周囲に同じ境遇の人が多すぎると、また、話しづらいらしく、そういうときには、元々のつながりのない第三者がお話を聴くほうがいいのだとか。
 もちろん、高齢化社会の日本では、グループホームなどでの需要もあるわけです。

 その友人は、人の話を聴いたり、相談に乗ったりするのがすごく上手な人で、私はそういう人を密かに「カウンセラー体質」と呼んでいるので、ぴったりだと思うのでした。

 それで、どういう態度や要素が「カウンセラー体質」なのかと考えてみると、いくつか見えてきました。

・受容と肯定
・共感
・(話を聴いたあとで)同じような悩みを話す
・求められたらアドバイス

といったあたりでしょうか。

 私は、大学のころから精神医学とか精神疾患に関心があり、医者のカウンセリングも受けたことがあるので、なんとなく、カウンセラーの「正しい態度」とか「言ってはいけないこと」などを多少は知っているのですが、友人はおそらく「勉強」とかではなくて、そういうことが身についているのでした(だから「体質」)。
 この友人だけではなく、周囲には、ほかにも数名こういう「体質」の人がいて、私は非常に助かっています。



 でも、おそらく、(私を含めて)大多数の人は、上記のことの「逆の態度」をとっている気がします。

 たとえば震災の被災者や犯罪被害者などが、人から言われて落ち込んだこととして、「たいしたことじゃない」「もっと大変な人もいる」「いつまでも引きずってないで元気にならないとダメだ」などを挙げていましたが、確かに、そういう「逆の態度」はけっこう身近にもあります。

・相手の悩みの否定や軽視
・負担になるような励まし
・「こうあるべき」という像の押しつけ
・相手の話をろくに聴かずに自分の話をする(相手の否定的要素を含む)
・求められてないのに上から目線のアドバイス
・求められてないのに相手の分析
・相手の不安が増すような情報の提供

 まあこれは、話しているときの人数とか状況によっても変わるわけで、「相談がある」と言って1対1で会うときと、飲み会でほかの人もいるときとでは、同じ人でも態度が変わるでしょうから、「個人差」というよりも、「状況差」という側面もあります。

 また、「上から目線のアドバイス」というのはイヤなものだけど、誰かのちょっとしたひと言で救われる人もいるわけです。

 そして、こういうことを書きながら、上記の項目はすべて、自分でもやっているような気がするので、私は「カウンセラー体質」ではないのだな、と自覚しています。



 高齢化社会になり、コミュニティの崩壊やネットの普及などで個人が分断されていくと、「カウンセラー体質」の人がますます求められるのでしょうね。

 きっと、「カウンセラー体質」ではないのに、自覚もないまま、基本的な勉強もせず、うっかり傾聴ボランティアなんてのをやってしまって、相手を傷つけている人も、少なからずいるような気がします。

 長々と書いてきたけど、要は、「センシティブな人に対する想像力」というがあるのかないのか、って話ですかね。

 それに加えて、職業としてのカウンセラーには、忍耐力とか、分析力とか、客観性とか、自分の心の安定性とか、そういうことも必要みたいです。

 たぶんあまりそういう素質がないであろう私としては、勘違いをして傾聴ボランティアなどしないように気をつけつつ、せめて周囲の人には上記の「逆の態度」をとらないことを心がけたいと思います。


posted by 「辻行燈」 at 12:34 | かわさき話

2013年11月05日

■ 夜中の調理(さとう)。

晩酌のあと、いや、途中でも、
ふとキッチンにキャベツとか大根とか玉ねぎとかにんじんとか…があるのを見て
急に包丁を握り出すことがあります。
それも時々ではなく、しばしば。

昆布を鍋に入れて、大根の皮をむいて面取りして入れて火にかけたり、
キャベツと玉ねぎをざくざく切って、トマトジュースを入れて火にかけたり。
ちょっと煮たら火を止めて、あとは余熱任せ。
なんだかひと鍋できると嬉しくなって、
お茶でも飲んで寝ようか、という気になったりするのです。

翌日はそれをアレンジしてなにか一品作ればいいし、
煮込む手間が省けてとてもいいのですが…。

なにしろ、晩酌の途中で思い立つので、
なにしろ、そのへんにあるものを使うので、
そして、賞味期限の迫った食材を積極的に入れてしまうので、
朝起きて鍋の蓋をあけたとき、「へ?」と思うようなシロモノもできていたりするのです。
お恥ずかしながら、作っているときは楽しいだろうに
何を入れて作ったかを覚えていないことがある…というわけです。

でも、まあ、食べられるモノしか入っていないし(当たり前!)、
だしを使うくらいでほとんど味付けをしていないので
ポン酢しょうゆや味噌があればなんとか食べられるものにはなります。
最悪の場合でも、カレー粉さえあれば、おいしいランチのできあがり! なのです。

自分で自分へのサプライズに苦笑しつつ、
ヘンなランチメニューを食べることしばしば、の私です。
posted by 「辻行燈」 at 12:00 | さとう話

2013年11月03日

■ ダメな人(秋元)

フリーになって会社を立ち上げて2年目ですが、私の好転しない経済状況をみて、母はしばらく「大丈夫なの?稼げてるの?騙されていない?」と心配していました。

「いや、入金が不定期になっただけで、稼ぎは多くないけど仕事はしているから大丈夫」と応えてみても、母の心配は拭えないらしく、「気をつけなさいね、あんたお人好しなんだから」と最後に付け加えるのでした。

この「お人好し」という言葉、子どもの頃にさんざん言われた言葉です。母からも祖母からも。
まだ言葉の意味もわからない小学生当時、「もしかして褒められた?」かと喜んだら、嗜められたのだと知りガッカリした覚えがあります。

しかし大人になってだいぶ経つのに、なにをいまさら…と思ってよくよく聞いてみると、どうやら母は、私の父のDNAを心配しているらしいことがわかりました。

私が6歳の頃に離別した父の話は、家ではタブーになっていて、私は父についてほとんど知りません。一度勇気を出して、なぜ離婚したのかを母に聞いたときも、「稼ぎがなかったからよ」とひと言、冗談めかして素っ気なく応えたきり。以来、私の父のイメージは「ダメな人」に定着しました。

その後、一度も会うこともないまま数年前に父が亡くなったことを知ったのですが、以降、母が少しずついろいろなことを聞かせてくれるようになりました。
父は稼ぎはなかったけど友人は多かったそうです。そして友人の頼み事には見返りを求めずホイホイ手助けしていたそうです。つまり、お人好しだったようです。
「え、じゃあまさか、友だちに騙されたの??」と聞いたら「さすがに、それほどじゃなかった…」と応えていたけど、「それほど」ではなくても小さな騙され方はしていたのかもしれません。

そんなお人好しな夫と幼子(私)を抱えて奮闘してくれていた母は、なんとも勇敢な人だな、と尊敬するばかり。
そんな母なら、父の血をひく私が「このまま働かなくなるんじゃないか」とか、「お人好しぶりを発揮しているんじゃないか」と心配するのも無理がありません。

でも大丈夫、それほど心配いらないよ! 
ちゃんと仕事してるし、もうそれほどお人好しじゃないから!


そして、ほとんど記憶にないけどDNAを受け継いでいるであろう父については、「ダメな人」だったとしても「悪い人」ではなかったことを知り、ちょっと安心しました。そして、とたんに愛おしく思えてきました。それは自分に似ているから? 
あ、私も「ダメな人」に分類されちゃうのかな??
posted by 「辻行燈」 at 18:20 | あきもと話
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