2015年01月12日

■ 実家の片づけ (川崎)

実家を建て直してから、もう少しで7年になります。
古い家とは比べものにならないくらい、非常に快適な家になりました。

問題は、ひとり残った母が高齢になり、掃除をきちんとしたり、片づけをしたりというパワーがなくなっていることです。
(元々の性格の問題もあるのですが、ここではあまり触れないことにしましょう)

年に2〜3回帰省するたびに、掃除を怠るとすぐに汚くなる水回りを中心に大掃除して、さらに、溜め込んでいる新聞やら粗大ゴミやらいろいろな物を処分します。

母は収納下手でもあるので、建て替え直後には、収納家具やら収納グッズやらを買って、収納方法を根本から見直すような作業も手伝いました。

それらが何とか落ち着いたので、今年のお正月は、引っ越し以来、手つかずで放置されている納戸などの掃除に着手しました。
引っ越し時の梱包がほどかれていない荷物も多いのです。



箱を開けてみると、旅行のお土産、写真、資料、人形などが多数ありました。

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▲これは「お土産」の箱。
 今回の片づけだけで、
 こういうのが4〜5箱ありました。

「私だったら捨てるのに」って物も多いのですが、まあ母の物なので、すっかり壊れている物以外、それはせず。
(でも、黙って捨てても気づかないだろうな、という物も多数ありました)

アクセサリーの空ケースだけをまとめてある箱もあり、「捨てる?」と聞いたら、全部取っておけ、と。

そして、カセットテープがあちこちから3箱分くらい出てきて、いちおう箱にまとめましたが、たぶん、二度と開かれることはないだろうな、と。

さらに、絶対に母は使わないし、人も欲しがらないような物も、置いておけというのでした。
(それは、「世代的に捨てることができない」とか「人からもらったものだから」とか、そんな理由ですが)

5〜6年前に便利屋さんを呼んで、「使わない小さな食器棚」「使わない物干し竿」「古い消火器」などを処分してもらったことがあり、ああいう人をもう一度呼ぼうかと言っても、あまり賛成しません。



「親の家の生前整理が話題になっているのを知っている?」と聞くと、笑いながら知っていると答えるのです。

でも、自分のこととして捉えてないようなので、「今捨てるのか、お母さんが死んでから捨てるのか、それだけの違いだからね」と言ったところ、少しハッとしたようでしたが。

私も今回の片づけで、かなりの体力を使い、庭の草取り&掃除ではすごい筋肉痛になったし、私も年をとっていくことを考えてよね、という気持ちもありまして。



ま、けっきょくは、カテゴリーをきちんとして箱に詰め直し、ラベルを貼り、機能的に詰め込んだ、というだけの大掃除になりましたけど。

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▲引っ越し直後の納戸。
 箱がどんどん積み上がっていきそうだったので……。

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▲エレクターの棚を2棹購入して、設置しました。
 とりあえず、ここに放り込めば、出し入れは楽だろう、と。

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▲母が部分的に荷ほどきをしたらしく、
 納戸の床にも荷物が増えてきたので、片づけを開始。
 なんとか、出入りや出し入れがしやすい状態に。

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▲中身のラベルも貼りましたが、
 二度と開けられないだろうな、という箱も多数。



そうそう、父が生前に買っていた世界遺産のDVD20本が出てきまして、母は自分では絶対に見ない、というので、何とか処分しようと思いました。

私は家が狭いので、兄に持って帰らせようとすると、「困っているなら半分だけ」と引き受けてくれました。

が、「残りの半分はいらない?」と聞くと、「ゴミとして出せばいい。燃えるゴミで出せる」と言い出し、そうすると母が慌てて、それなら誰かにあげる、と言い出すのです。

すると今度は兄が、「あげるアテがあるなら、自分は持って帰らない。捨てるくらいならと思っただけなので」などと言い出すのですよ。

兄よ、そのあたりの母の感覚とか、わからんかね。
黙って持って帰って、いらないものを自宅で処分してくれてもいいじゃないか。

と思うのだけど、兄にそれを期待するのも無理かなー。



posted by 「辻行燈」 at 12:03 | かわさき話/実家建て替え

2013年08月17日

■ ザクロがついに (川崎)

 3年半ほど前に、建て替えを済ませた実家の庭に、ザクロの苗木を植えた話を書きました。

 建て替え工事のため、庭の植木をすべて伐採してしまい、寂しい庭になっていたのでした。

 枯れ木にしか見えないような木でしたが、その半年後には芽吹きました。
 そして、1年前の夏には、枝振りも立派になり、緑の葉っぱをふさふさとつけていました。

 そして今年!
 ついに、実が成りました!

 15個くらいはあるようです。

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 ザクロの苗木の取説によると、「実が成るようになるまでは4〜6年かかる」ってことでしたけど、それよりもちょっと早めでした。

 さて、実の味はどんな感じなのでしょうかね。

 伐採前のザクロの実は、(近所の小学生の間で)けっこうおいしいと評判だったようです。

 ザクロの実をもらいにくる小学生に向かって、「こんな果物よりも、お菓子のほうが好きなんでしょ?」と母が聞いたところ、「ううん、これは甘くておいしい」と答えていたらしい。

 それと同じくらいの味ならいいな、と思いつつ、今度は熟すのを楽しみにしています。
posted by 「辻行燈」 at 14:46 | かわさき話/実家建て替え

2010年06月21日

■ ザクロのその後 (川崎)

 今年のお正月に、実家にザクロの苗木を植えました。
 ブログにも書きましたけど。

 今年の春先に、母の手伝いで帰省したときに、芽が出ていました。

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 母が言うには、「昨日か一昨日見たときには、まだ出ていなかったのに」とのことです。

 まるで、私の帰りを待って芽吹いてくれたようではないですか。

 この写真の状態から2か月以上がたち、赤っぽかった芽は、緑色になって成長しているらしいのですが、母には、それを撮影して送るというような芸当はできないので、話で聞くだけです。

 夏の帰省の楽しみにしておきましょう。

 そうそう、昔は、こんなふうに、何かをじっくりと楽しみに待っていたのに、「すぐにできる」「すぐにわかる」にすっかり慣れてしまいましたね。
posted by 「辻行燈」 at 10:49 | かわさき話/実家建て替え

2010年01月04日

■ ザクロの植え替え (川崎)

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。




 実家の建て直しから、すでに1年10か月です。

 建て替えの際に、庭にたくさんあった木々はすべて伐採されてしまいました。

 両親は、ザクロの木をはじめ、いくつか残したい木があったようなのですが、工事のジャマになるらしく、ハウスメーカーから「数本残すのは無理です」と言われ、泣く泣く処分したそうです。

 ちなみに、「残したい木があったのなら、ハウスメーカーに全伐採される前に、町内の植木屋さんなどに保存してもらっておけばよかったのに」と言ったのだけど、両親ともに、そんなことは思いつかなかったようです。

 その話を聞いていたので、2週間ほど前に、母に「ザクロの苗木を植える?」と尋ねてみると、「そうだね。そうしようか」と言うので、さっそく苗木をネットで注文し、今回の帰省時に庭に植え替えることにしました。



 取説によると、直径50センチ、深さ50センチの穴を掘り、腐葉土と赤玉土を8リットルずつ入れるといいそうです。

 腐葉土と赤玉土は、近所のホームセンターで買ってきました。
 ショベルは、裏の物置にあった、サビだらけのものを使うことにしました。

 穴を掘っていると、兄が手伝ってくれました。

 少し掘ると石ころがたくさん出てきて、「そういえば、前の家を建てたころ(37年くらい前)、お父さんが庭の石を掘り出すのを手伝ったねー」なんて思い出話をしながら。



 というのも、両親は田んぼだった土地を買い、整地を町内の業者に頼んだところ、無知につけ込まれたのか、意志の疎通がイマイチだったのか、敷地内に大きな石をごろごろ詰め込まれていたんですよ。
 地面すれすれくらいまで。

 大きいものは、直径50センチくらいはあって、「岩」と言ってもいいほど。

 父は、週末ごとにそれらの石を掘り返しては、一輪手押し車で河原まで捨てに行っていたのでした。

 当時の父の年齢を考えてみると、今の兄や私の歳とあまり変わらず、50センチの穴を掘るだけでヘトヘトになっている我々の体力と比べると、格段にパワフルだったようです。



 さて、何とか、ザクロの木を植え替えが完了しました。

 細いし、枯れ木みたいだし、ちゃんと育つんでしょうかねー。

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▲曇り日の夕方に撮影したので、
 さらに寂しい感じですね。


 通学途中の小学生から、「ザクロの実、ください」と言われるのが、母はけっこう好きだったようです。

 実がつくようになるまで、4〜6年くらいかかるらしいので、ぜひ、長生きしてもらわなければ。
posted by 「辻行燈」 at 11:32 | かわさき話/実家建て替え

2007年11月05日

■ 実家の建て替え その6 (川崎)

 建て替えの間に両親が住むための仮住まいは、なんと、ハウスメーカーを決める前から契約していました。
 何だか順序がおかしいんですよ。
 まあ、本人たちがそれでいいならいいのですけど。

 そして、「この歳になって、古いところに住みたくない」という母親の要望で、新婚夫婦が住むような、新築2LDKの集合住宅を借りているので、もちろん全部の荷物はそこに運べません。

 トランクルームの手配をしたほうがいいんじゃない、などとアドバイスをしていたのですが、近所で、かなり古びた平屋の広い家を見つけ、そこを倉庫代わりに借りることにしたようです。
 家賃は何と1万円。
 トランクルームよりも近所だし、荷物の出し入れに融通が利くし、安いし、いいものが見つかりました。



 さて、取り壊し。

 ハウスメーカーの人から、最初に提示された取り壊し予定日は、1週間後の8月28日でした。

 が、7月上旬からスタートした両親の片づけは、この時点で、1パーセントも進んでいなかったらしく、1週間頑張っても、まだ1割程度だったようです。
 それで、取り壊しの前日か前々日くらいに、「すみません。間に合いそうにないので、1週間延ばしてください」とお願いしたようで、翌週ということになりました。

 そのとき、かすかに嫌な予感はしていました。1週間で1割しかできないのに、もう1週間延ばして、残りの9割ができるのだろうか、と。

 案の定、毎週毎週、そんなことの繰り返しです。

 何週間目かには、当日の朝に延期をお願いしたらしく、「みんなに迷惑だから、早めに判断して、早めに連絡するように」と言ったのですが、まさか自分の親に、こんな注意をすることになろうとは。



 その後、両親の仮住まいへの引越しは、9月上旬に何とか済ませたようなのだけど、残りの荷物は片づかず、その後も何度も延期が繰り返されます。

 私は早いころに、「この時点で不要品を処分するのが理想的だけど、年内に入居したいという希望があるなら、楽々パックのようなもので倉庫に運んでもらって、家を建てている間にそこで分別したら」と提案していたのですが、「散らかりすぎて恥ずかしい」というような理由で、なかなか頼もうとしないのです。

 業者は散らかっている家は山ほど見ているから、いまさらびっくりしないから、と言ったのですが、やはり聞きませんでした。
 古いタイプなんですかねー。

 そうこうしているうちについに10月になってしまい、もう年内入居は無理だとはっきりしたころに、ようやく完了したようです。

「片づけが必要になったら、手伝いに帰るから」と言っていたのですが、7月に、自分の荷物を整理しに帰った以外は、どうにも時間がとれませんでした。
 親不孝ですねぇ。

 先日、ようやく地鎮祭も終わりました。

 さて、これから無事に進むのでしょうか。

(この話、つづくかも)
posted by 「辻行燈」 at 19:10 | かわさき話/実家建て替え

2007年10月31日

■ 実家の建て替え その5 (川崎)

 5月に、実家の建て替えが意外とスムーズにスタートしたお話を書いたままでした。

 その後、ある時期は順調、ある時期は停滞、という感じで、最近、ようやく地鎮祭が終わったようです。

 私が事前にハウスメーカーの営業担当者に、父がかなり頑固であることなどを伝えていたことも幸いしたのか、担当者はいろいろ細かい気配りをしてくれて、また年寄りの扱いもうまかったようで、何とか順調に進みました。
 父がヘソを曲げることなく。

 ほんとは、2〜3のハウスメーカーや建築士に同時にお願いして、その中からいい図面を選ぶとか、合い見積もりをとるとか、そういうほうがいいのにな、と思っていたのですが、高齢なわりには用事をたくさん抱えている両親は、1社とやりとするだけでも精一杯なようで、そのメーカーにお任せしました。

 その代わり、父親は、「お宅を信じて、ほかには頼んでないんだからね」と、プレッシャーはかけていたみたいですけど。



 5月から7月にかけて、図面をかためました。

 私が張り切ってつくっていた図面を、「あくまでも参考に」とメーカーの人にメールで送ったところ、「あ、階段を7段上がったところで、1階の天井と階段床面との差が1メートルになって、2階に上がれませんね」と指摘されました。
 素人がやることは、しょせん、こんなもんですね。



 7月に帰省したときに、両親が、ハウスメーカーで建材などを決める打ち合わせをしているところに同席して、気になる部分などを確認しておきました。

 そして、その帰省時には、自分の荷物を片づけました。
 学生時代のノート類、アルバム、レコード、大学祝いに親戚にもらったタイプライターなどは残しましたが、たいていのものは処分しました。
 残したのは、段ボール箱4つ程度です。

 捨てる前に、気になるものは写真におさめました。
 小中学校のころにつくった木工作品や手芸作品とか、ちょっとしたお土産とか、パンダのぬいぐるみとか。
 けっこう笑えます。
(ブログに載せたいけど、恥ずかしい)



 そして、7月下旬くらいには建築確認申請を出していたのですが、いろいろあったのは、それからです。

 まずは、姉歯事件による法律改正で1か月くらい待たされることになりました。
 これは、ハウスメーカーから、「急に法律が変わって、我々もどうなるか予想がつきません」と言われていたのですが、まあ、心配していたわりには、お盆明けには許可がおりました。

 「では、来週に取り壊しを」ということになったのですが、実際に取り壊しが行われたのは、10月15日でした。

 なぜこんなに遅くなってしまったのか。
 それはまた次回に。

(この話、つづく)
posted by 「辻行燈」 at 12:41 | かわさき話/実家建て替え

2007年05月24日

■ 実家の建て替え その4 (川崎)

 今年の1月に、父に向かって、「今年の3月までにどこのハウスメーカーにも連絡ひとつしないようなら、私ももう一切手伝わないよ」と言ってみました。
 半分は脅しのつもりで。

 それでも3月末までに、なーんにもしてなかったんですよ。

 とはいえ、このまま放っておいて何か動き出すとは思えず、そして、私は最後通牒を突きつけた手前、今後は手伝うわけにはいかなくなるし、どうするか迷った挙げ句、父が少しだけ気に入っているふうだったハウスメーカーに、資料請求&相談メールを出してみて、それでようやく動き出した次第です。

 父は、ある本を読んでそのメーカーが気に入っていたにもかかわらず、小さな疑問がひとつあるというだけで、半年以上も何の連絡もせずに放置していたのでした。

 その疑問とは、「どうして著者は埼玉県の人なのに、巻末の賛同工務店一覧に埼玉の会社が1店舗も載っていないのか」

 いや、放置していた理由は、その疑問のせいというよりも、テレビを直さなかった理由に近いのでしょうけど。

 というわけで、カタログが実家に送付されたのですが、それでも自分が請求したわけじゃないからと封筒さえ開けようとしなかった父を、母が無理やり引っ張って住宅展示場に行き、営業担当の人が細かい気配りができる人だったためヘソを曲げることもなく、何となくスタートできたのでした。

(この話、もしかするとつづく)
posted by 「辻行燈」 at 11:28 | かわさき話/実家建て替え

2007年05月21日

■ 実家の建て替え その3 (川崎)

 母から、家の建て替え実現のために、父を動かしてほしいと頼まれたため、私はいろいろやってみました。
 考えうる、ありとあらゆることを。

・フリーの設計ソフトでリフォーム案をつくって、送ってみました。
・ハウスメーカーに資料を請求して、送ってみました。
・家づくりの本や雑誌で、参考になりそうなものを見つけては送ってみました。
・電話をするたび、帰省をするたび、父に「どうするつもりなの?」と聞いてみました。
・帰省時に、「来年の正月は新しい家になっているはずだから、今の家の前でみんなで記念写真を撮ろう」と提案し、実行してみました。
・知り合いになった東京の建築士に「実家の設計をしてあげてもいい」と言われたので、彼の著書を送ってみました。
・建築士と建てるのは無理そうだと気づき、ハウスメーカーに連絡するように勧めました。
・「今年中に建て替えるためのスケジュール表」というのをつくって、送ってみました。



 それでも、3年半たって、何ひとつ行動を起こしてなかったんですよ。
 不思議でしょ?

 テレビの一件と同じで、「どうなっているの?」と聞けば、「これから調べるから」「これから送ってもらった本を読むから」などと言いつづけて何もせず、「じゃあ、まず何からするつもりなの?」と聞けば「さあ」と答え、「じゃあ、私のほうで××を進めるよ」と言うと「まだ待って」「まだその時期じゃない」と言い……。

 ほんとに不思議でしょ?
 建て替えを嫌がっているわけじゃないのに。億劫なだけなのでしょうか?
 だけど人には絶対に任せたくないらしい。

 こんな状態が今年の3月までつづき、父はもう77歳だし、今年中にスタートしないともう無理かも、と半分諦めかけていたのでした。

(この話、つづく)
posted by 「辻行燈」 at 13:38 | かわさき話/実家建て替え

2007年05月18日

■ 実家の建て替え その2 (川崎)

 実家の建て替え、思いのほか、順調に進んでます。
 ほんの2か月前まで、「もう建て替えは不可能かも」と思っていたのですが。

 というのも、うちの父の特異な性格のせいで。

 実は、7年くらい前に、実家のテレビが故障したのですが、それを直すのに3年くらいかかっているんですよ。父のせいで。

 母は、NHK以外はほとんど見ないような人ですが、それでもたまに、クラシックコンサートや歌舞伎などを録画したい、という思いはあったようです。
 なので、「電気屋さんに連絡してもいい?」と父にお伺いを立てるのだけど、「待て。まだ電話はするな。おれが直す」と言いつづけて、まったく何もしないまま3年。
 変わっているでしょ?
 電話するだけなのに。

 母の周囲では、「テレビはもう直った?」というのが挨拶代わりになっていたらしい。

 その当時は、正月に私が帰省してもラジオのみ。しかも田舎なので、聴ける局は、FM、AM合わせて2〜3局くらいだし。
 ラジオで聴く紅白歌合戦というのは、小林幸子の衣装が見られなくて、ちょっともの足りない感じでした。

 そんなもんで、ある年末、「お父さん、私が帰省するまでに、テレビ直しておいてねー」と、わざと甘えて言ってみました(この私が言うので、甘えたつもりでようやく普通の人並みですが)。
 すると、その1週間後には修理が完了していて、母がすっかり呆れてしまった次第です。父親というのは、娘がかわいいんですね。

 そんなことがあった少し後に、母が、「実は家を建て替えたいんだけど、お父さんがなかなか動かないから、あんたたちも協力してね」と私と兄に頼んだのでした。
(兄は、そのときのことを、まったく覚えていないらしい)

 それが3年半くらい前のことでした。

(この話、つづく)
posted by 「辻行燈」 at 21:04 | かわさき話/実家建て替え

2007年04月23日

■ 実家の建て替え その1 (川崎)

 今、私の気持ちの中の8割くらいを占めているのは、実家の建て替え問題です。

 3年以上も前から建て替え計画は浮上していたのですが、やる気に満ちた母に比べ、父の動きが鈍く、しかし家はどんどん傷み、両親はどんどん年老い、いったいどうする気だろうと心配していたところ、ほんの半月前から急に動きはじめました。
(私が仮の間取り図をつくったり、資料請求などをして、無理やり動かしたんですけどね)

 のんびりしている両親以上に、私があれこれ調べたり、地元のハウスメーカーの担当者にメールで要望を伝えたりしています。

 というのも、私の今生の貧乏な人生では、自分の家を持つことはなさそうなので、「自分の意見が反映された家を建てる」という機会は、これが最初で最後だと思うので。
(偶然に救命してあげた金満老人が私に遺産を遺してくれる、といったアクシデントでもないかぎり)

 もちろん、両親との意見が違う部分も多く、思いどおりにはならないのですが。

 住宅関係の仕事を2〜3度したことがあるので、両親に比べれば、多少の知識はあるし。

 そんなわけで、ちょっと時間があれば、ハウスメーカーや設備メーカーや建築士のサイトを調べたり、送られてきた図面をチェックしたり、収納について考えたりしていて、仕事がちっとも手につきません。

 本屋へ行けば、住宅コーナーへ。
 PCを立ち上げれば、開くのは図面ファイル。
 ブラウザを起動すれば、住宅関係サイトへ。

 ……浮かれてます。

 ほかにもいろいろと、辻行燈関係の打ち合せや雑用などがあり、「うーん、時間が足りない。仕事がなければ、ちょうどいいのに」という状態です。

 なので、仕事が遅いときにも、「川崎さんは今、親孝行をしているんだな」と思って、温かい目で見守って下さい。

 おもしろい話などあれば、またここで報告します。

 今年の年末は、はたして新しい家に入れるのでしょうか?
 父がへそを曲げて、計画が頓挫しないことを祈りつつ。
posted by 「辻行燈」 at 18:42 | かわさき話/実家建て替え
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