2005年11月22日

■ 国境現地報告 20 (川崎)

●帰国して思うこと

 11月4日に帰国しました。

「好きなときに、好きなものを、好きなだけ食べられる」というのはいいものです。
 フカヒレが食べたいと思っても、好きなだけは食べられませんが。

「相手が言っていることがすべて理解できる、自分の言いたいことが全部言える」というのもいいものです。
 理不尽な仕事相手に、「それは、おかしいですよ」とは言えませんが。

 そして、「ボタンひとつで洗濯ができる」というのもいいものです。
 もちろん、干したり畳んだりするのは、自分でやらなきゃいけませんが。

 このあたりが、旅行中に辛かったことかも。

 東京の自宅は、今回泊ったどのホテルよりも狭く、誰も掃除してくれません。
 どんどんたまるダイレクトメールを処理したり、週に4日もゴミを出したり、請求書の支払いをしたり、買物に行ったり、ご飯を炊いたりしなければなりませんが、ちょうどいい温度のお風呂に入れて、夜はぐっすりと眠れます(仕事の締切り前除く)。
 当然ですが、これが「生活」です。


 今回、スイスインターナショナルエアラインを利用しました。成田−チューリッヒ間はJALとの共同運航のようで、その間は、まるで日本国内のようでした。

 行きに、チューリッヒの空港で、ベルリン行きの搭乗口に移動して「あ、日本人がひとりもいなくなった」という状況になり、その異邦人の自覚を持ちつづけた2週間半の旅を経て、戻ってきたチューリッヒ空港の成田行き搭乗口は、日本人だらけでした。

 そこで、「異邦人」から「匿名のひとり」に変身した瞬間が、おもしろいようにわかりました。
 まるでスイッチを切り替えたように、均一的な集団の中の目立たないひとりへ。

 どちらも、ある意味孤独ですが、孤独の種類がこんなに違うんだなー、と、しみじみ実感しました。
 でも、どちらもそんなに嫌いじゃないんですよ。「異邦人」感も、匿名な自分も。

 前者のほうには、「言葉がちゃんと通じて、蔑視が感じられなければ」という前提付きですが、考えてみれば、この前提なしの状態も、たまには経験すべきかもしれません。
 自分が普段、どれほど無意識に差別している側かを自覚する意味でも。

 という「きれいごと」は、帰国して、安全で快適な場所に居るから言えることかもしれません。

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▲「異邦人」としての最後の食事をしたブダペストの空港のカフェにて。
モツァレラチーズとトマトのホットサンド。


※長く留守をしていたこともあり、年末だということもあり、非常に忙しい日々です。
 が、早く旅のメモ帳をまとめて、そして、現地でわからなかったことなどを調べてみたいものです。

※写真をひと通りアップしてみました(3500枚の写真の中から選びました)。
 よかったら、「国境取材の現地報告」をクリックして、20回分をまとめてご覧ください。
 旅行者としての、小さな「おもしろい発見」はまだまだあるのですが、とりあえずこのシリーズは終わります。
 読んでくださったみなさん、ありがとうございました。

(了)


posted by 「辻行燈」 at 10:04 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年11月21日

■ 国境現地報告 19 (川崎)

●ブダペスト その3(11月3日)

 マヌケなほど遅くなりましたが、その後の現地報告を日本からお送りします。

 ブダペストでは、実はもう1か所、行ってみたいところがありました(ひとつではありませんでした)。

 それは、中央市場。
 古めかしい広い建物の中に、小さなお店が50軒くらい入ってました。

 17年前、そこでお土産のキャビアを買いました。1缶180円くらい。フォアグラも同じくらいの値段でした。
 さて、開放後、どんなふうになっているのでしょうか?

 ここも、すっかり観光化された感じです。
 建物の外観は古いレンガ造りで、おそらく当時のままなのだけど、内部がすっかりこぎれいになってました。

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▲これが中央市場の外観です。渋いでしょ。

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▲これは内部の様子です。

 客も、地元の人というよりも、英仏独あたりからの観光客がたくさんいる感じ。みんなデジカメでパチパチと写真を撮っているし、フォアグラ4〜5缶とかまとめ買いしているおばさんもいるし。
 そして、クレジットカードOKの店もたくさんありました。

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▲クレジットカードは、
店によってはJCBもOKでした。


 お店の人はみんな愛想がいいし、ほぼすべての人が英語を話します。「努力次第で収入が変わる」ということが、人々をこうも変えるのですね。

 肝心のキャビアとフォアグラは、フォアグラが買物の目玉商品になっていて、いちばん小さな缶でも2000フォリント(約1200円)前後です。
 当然かもしれませんが、いちばん入り口に近い店がいちばん高く、奥へ行くほど安くなる。

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▲目玉商品のフォアグラやパテなど。
価格に0.6をかけると、
日本円でいくらかだいたいわかります。


 キャビアはあまり多くの店で扱っておらず、1〜2軒で見かけましたが、3000フォリント(約1800円)です。
 トリュフも扱ってましたが、ちゃんと大きな状態のものの瓶詰めは、3000円くらい。それが粒になった「江戸紫」のような香りのする瓶詰めが、1800フォリント(約1080円)。
 お店のおばさんも、「これは高いのよねー」と言ってましたが。

 経済格差がだいぶ埋まっているのでしょうけど、これらの商品をハンガリー国民が頻繁に食べているのかというと、また別かも。

 そうそう、日本との物価の差。
 大きなショッピングセンターなどの(特に有名ブランドの)価格を見ると、先進国とほとんど変わらないようだけど、要は、それをみんなが気軽に買っているかどうか、ということでしょうね。

 スーパーの価格などを見ると、果物、野菜、パンなどは驚くほど安いけど、商品によっては日本とさほど変わらないものもあります。西側製のワインやミネラルウォーターとか。

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▲中央市場内には野菜などの店もあります。

 100円ショップ代わりに、399フォリント(約240円)ショップというのがありました。
(日本製のステンレスタワシを発見。それに書かれていた「本家・松濤流」とは何でしょうか?)

 アジアの国々で安いものを買うときは、「この贅沢品ひとつの価格で、この人たちは何日暮らせるのだろうか」などと考えて、その根本に横たわる「搾取」という言葉もちらついて、何だか落ち着かない気分になりますが、さすがに「ハンガリーが遅れている理由」を考えると、「西欧諸国と比べたら、日本人の罪なんて小さいもんだろう」と少し気軽になれます。

 そんなことを思いながら、けっきょくは大型スーパーで、なぜか知らないけど安いドイツ産のキャビア(200円くらい)を買ったりしました。


(次回へつづく)
 ↑
※すみません、もう1〜2回ほど。
posted by 「辻行燈」 at 17:21 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年11月05日

■ 国境現地報告 18 (川崎)

●ブダペスト その2(11月2日)

 ブダペストでどうしても行ってみたいところは、実はひとつ。
 17年前に、旅の途中で会った人に紹介されて、3泊ほどしたドミトリーです。

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▲これがそのときのドミトリーです。
撮影日は「88年3月19日」となっています。


 でも、かなり記憶があいまいなうえ、当時、帰国直後にチェックした範囲ではガイドブックにも載っていなかったような気がします。

 出発前に、以前の旅のノートを探したのだけど、どうしても見つかりませんでした。そして、「ネット検索をする」ということを、とんと思いつかず、出かけたのです。

※いやー、調べていけばよかった、と、今になって。
 帰国後に調べて、1件だけそれらしい情報にヒットしました。
 ただし、掲載日付がなくて、「古くて使えない情報」というタイトル入り。

 そのドミトリーは、いちおう観光地だったはずの「ゲレルトの丘」にある城のような建物の内部を利用したもので、主に当時の東側の学生を相手にした安宿だったようです。
 たしか、当時で1泊100円程度。
 もちろん、経済格差がなせるわざ。

 私が泊った部屋は、天井がドームのようになっていて、そこに30くらいのベッドが並んでいたような。廊下の断面もアーチ状で、かなり雰囲気がありました。

 東側の学生数名から、「ベトナム人か?」と聞かれたのですが、たぶん、情報が制限されていた彼らがよく知る東洋の国は、ベトナムくらいだったのでしょう。
 日本と答えても、「知らない」と言われました。
 西側の国の人であれば、当時、「大学生ごときで、世界をふらふら旅できる東洋人は日本人くらい」というのはわかったはずですが。

 さて、そのドミトリー。
 外観写真と内部の写真が1枚ずつあるほかは、「ゲレルトの丘あたり」「バスの停留所から降りてすぐ」ということしか覚えていませんでした。

 私の記憶と、ブダペストの市内地図や交通路線図とがどうもうまく一致せず、「とにかく近くまで」とトラムで移動して、ある停留所で降りた瞬間に、グワーッと記憶がよみがえってきました。
 滞在中はここを何度か通過していたこと、このもう少し奥の広場でトラムからバスに乗り換えていたこと、循環バスが丘の上を回っていてそのひとつの停留所で降りていたこと、など。
 乗り換えの広場にあった、1回だけ入った飲み屋も思い出し、それらしいものが残っていました。

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▲思い出すきっかけになったゲレルト温泉。
 翌日の夜に撮影。


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▲たぶん17年前に入った飲み屋。


 そして早速出かけたのですが、結論から言うと、「そのホテルにまで行ったのに、それは違うと思って帰ってしまった」ということです。

 観光客みんなが降りる停留所で降りてみて、みんなが行く「要塞跡」に行き、そこにホテルがあることまではわかっていたのですが、あまりに雰囲気が違うのですよ。

 当時はそのドミトリーを利用する学生以外はほとんどいなかったエリアなのに、超「観光スポット」になっていた。
 観光バスなどが乗り付けていて、多数のクルマが駐車場にあり、土産物屋の屋台もたくさん出ていて、カフェなどもあるし。
(そして、運悪く祝日だったので、カフェなど多数閉まっていた)

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▲今回の「要塞」付近の様子。

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▲すっかり観光化されていました。

 バスの停留所の位置もぜんぜん違っていて、ただ、今にして思えば、17年前に利用していたところが「観光バス」用となり、路線バスのコース自体が変わっていたようです。

 丘を少し下ったレストランで休憩したときに、ウエイターに写真を見せて聞き込み(?)をしてみたのだけど、「たぶんあの要塞ホテルでしょ。でもそんな前のことはわからない」と言われました。
 そこから要塞跡まではかなりの上り坂だったので、「明日また来るか、もう見たものとして諦めるか、どっちかだな」と思ったのでした。

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▲聞き込みをした店で飲んだカプチーノ。

 そして、翌日も少し迷ったのだけど、「もう過ぎたことだし、あれだけ様変わりしていたことだけわかればいいだろう。あとはただの思い出だし」と思って、行くのをやめたのでした。
 今思えば、事情を話して、内部をちょっとだけでも見せてもらいたかったかな、という気もするのだけど、まあ、もういいでしょう。

 17年ぶりの「思い出の地 再訪」は、こんな感じでした。

(次回へつづく)
  ↑
※えぇ、帰国しても、まだつづくんです。
posted by 「辻行燈」 at 15:01 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 17 (川崎)

●ブダペスト その1(11月2日)

▼無事に帰国しました!▼
【アップしている今の状況:5日/東京】

 ブダペストに到着した日の夜、また夢を見ました。

 私はなぜかインドに居て、おいしいカレーをお腹いっぱい食べたのだけど、後になって、カレーと一緒に、コップ1杯の生水をごくごくと飲んだことを思い出したのです。
 誰か案内をしてくれていた人に、「それは、まず間違いなくお腹をこわすね。まあ、しょうがないとあきらめて」と言われ、すごく不安になっているところでした。

 これは、日本を出発する前に、ハンガリー情報を軽くネットで調べてみたところ、おそらく在ハンガリー邦人らしき人のサイトがヒットして、「ハンガリーのレストランで食事をした後にお腹をこわしてもしょうがない」という趣旨のことが書かれていたせいだと思います。

 あとは、もしかすると、到着した日の街の様子がちょっとカオスのように感じられて、それで少しインドを連想したのかもしれません。

 実は、あとになってわかったことですが、到着した翌日(11月1日)は「万聖節」という国民の祝日だったようなのです。
 そのためかどうか、到着日(10月31日)もいくつかのスーパーは店を閉めているし、ゴミだらけの汚い通りなどもあって(清掃員もお休み?)、街のイメージは悪かったんですよねー。
 1日には、一部の飲食店や土産物屋を除いて、大型スーパーなども軒並み店を閉めているし。

 2日にはほとんどショップが開いて、表通りはわりときれいに掃除され、少し明るくなっていました。

 それにしても、こういう日に到着すると、街の第一印象が悪くなりますねー。

 日本だとどうでしょうか?

 東京なら、そして週末や祝日程度なら、オフィス街などは別にして、それほど激変したり、旅行者が不便に感じるほど店が閉まったりはしないと思うのだけど。
 なにせ、あの便利なコンビニエンス・ストアがあるし。
 年末年始だと、ちょっと不便だったり街の印象が変わるかもしれないけど。

 まあ、いずれにしても、日本は便利な街です。


 さて、ブダペスト。

 街は、ドナウ川をはさんで、ブダとペストに分かれているのですが、それをつなぐ橋がいくつかあって、その代表が「くさり橋」です。

 ガイドブックなどでも必ず登場する、夜景も美しいくさり橋ですが、いざ出かけてみるとあまり観光に適してないのですよ。

 昼間に行っても、観光向けにあたりが工夫されていない。
 橋への目印が少なかったり、橋に近づくために大きな道を渡らなければならないのだけどそこに横断歩道がなかったり。

 くさり橋はバスもクルマも走る橋なので、プラハの歩行者専用のカレル橋のようにはならないだろうけど、そして、観光客にあまり迎合する必要もないのかもしれませんが、観光も大事な収入のはずの街だから、「何かやりようがあるだろうに」と思います。

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▲昼間の「くさり橋」。
観光客もまずまずいますが……。


 さらに夜。
 うっかり8時くらいに夜景を見に行って、あまりの人の少なさに、そしてあまりの暗がりの多さに、非常に怖い思いをしました。

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▲夜8時台の「くさり橋」。
人がほとんどいなくて、すごく怖い思いをしました。
写真もテキトーに撮影。


 どうも夜に繰り出すべき橋は、その二つ隣の「自由橋」のようです。そちらもにぎやかというほどではなくて、「人通りがあるので、まあ、危険ではない」という程度ですが。

 くさり橋にかぎらず、「もしも私がブダペストの市長になったなら、まずはここから手を付けるのに」ということに、山ほど思い至ります。切符システムは別にして(ブダペストも複雑)、市内交通のもろもろとか。
 もちろん予算がなくてできないことのほうが多いのでしょうけど。

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▲地下鉄の車両の外観が、貨物車のようで驚きました。

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▲革が吊ってあるだけの、元祖「吊り革」。

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▲でも、路線によっては駅のホームがリフォームされていた。

 大きなお世話かもしれませんが、そして旧共産圏であったことを考えれば、ずいぶん努力もしているのでしょうけど、もうちょっと頑張ってほしい、と勝手なことを思ったりして。

【東京の通信事情】
 常時接続定額制ブロードバンドって、ステキですね。今になって実感しています。
 日本では接続時間を気にせず、メールはもちろん、ニュース、天気予報、電車の乗り換え、辞書、商品の価格調べ、図書館の予約、レストラン探し、銀行振り込み、携帯の設定変更など、あらゆることにネットを利用して当たり前のように感じていたけど、それが自由にならないことがこんなに不便とは。
 そういえば旅行中は、料金を気にしつつも、ホテルのフロントの人に尋ねるよりもネットで調べることもあり、それは本末転倒のような気もしつつ。
 ま、英語が自由自在に操れない私には、とても便利でした。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 13:37 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年11月01日

■ 国境現地報告 16 (川崎)

●ショプロン その2(10月30日)

【アップしている今の状況:1日/ブダペスト】

 さて、ショプロン。
 古い街並みが残る観光地です。

Sopron01.jpg
▲こんな感じの街並みです。
と言っても、この1枚じゃわかりませんね。


 ショプロンに行けば、例の事件の現場もすぐにわかるだろうと思い込んでいたのですが、出発前日に見たガイドブックには、ショプロンからバスで30分の町、「フェルトゥーラコシュ」がその舞台だと書いてあります。

 さらに、「フェルトゥーラコシュ行きのバスに乗り、終点少し手前の『採石場跡』で降りると、そこには記念の柱が立っている」と。

 ホテルで、「この情報で合っているか」と確認して、行くことにしました。

 採石場跡に行き、記念の柱も見ましたが、さて、その東ドイツの人が越えて行ったという国境はわかりません。

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▲これが採石場跡です。コンサートホールもあります。

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▲「ヨーロッパ・ピクニック計画」の記念碑。

 「フェルトゥーラコシュ」まで行ってみましたが、採石場跡からわずか2停留所分。そして、そこにはほんとに何もないのです。
 大きな1本の道、そこに面した民家、ペンション、2〜3軒のレストラン。インフォメーションセンターらしきものも発見しましたが日曜でお休み。

 あまり人も歩いていない。
 うろうろ歩きましたが限界があるので、レストラン(飲み屋?)で食事した(唯一できる言われたベーコンサンド)ついでに、そこの英語がちょっと苦手な青年に「国境は遠いのか?」と聞いてみました。

Fertorakos03.jpg
▲「聞き込み」のために食べたベーコンサンド。
オープンサンドですね。
ベーコンには大きな軟骨が含まれ、
パプリカがたっぷりと振りかけてあります。
グラスに入っているのは白ワイン。



 すると、「ショプロンに行けばある」と言うので、「いやいや、この町の」と聞くと、「ここから400〜500メートル戻って、左手に山が見えたところで右折すると、オーストリアとの国境がある」と。

 ありました。
 1キロくらい戻って(採石場跡まで)、そこから右折して2〜3キロ。遠かった。彼も遠いとは言っていたけど。

 右折してからは、周囲にはブドウ畑や牧場程度しかない細い道で、自分ひとりならすぐにあきらめて引き返しそうですが、前後に観光客風のグループが多少いたので、何とか歩きました。

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▲こんな道が、だらだらと続きます。

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▲右手は牧場やら畑やら。
遠くに見えるのはフェルトゥ湖。



 しかし、国境に到着してみると……。

 ぜんぜん厳重じゃないんですよ。

 列車での出入国ではかなり厳しい目でパスポートを見られるわけだし、「ハンガリーでは偽日本人が多数入国しているからパスポートチェックが厳しい」などと聞いていたので、陸上の国境も、多少は柵のようなものもあり、チェックも厳しいものだと思っていたのですが。

 ハンガリーからオーストリアへ行くのは、ノーチェックでした。
 ハンガリー側の事務所には人がいましたが、オーストリア側の事務所は無人です。

 あまりに簡単だったので、そこに居た人たちに、「ここはオーストリアですか?」と尋ねたほど。

Fertorakos06.jpg
▲ハンガリー側からオーストリア側へ。
白っぽい写真で失礼……。


 そして、また一緒に2〜3キロを歩いて帰ると思っていた人たちは、オーストリア側からの観光客でした。
 国境を越えたすぐのところに駐車場があり、一緒に来た人たちはそれらに乗って、さーっと行ってしまったのです。

 ひとり、とぼとぼと引き返します。
 まるで、芥川龍之介の『トロッコ』の少年のような気分です。

 今度は、ハンガリー側でチェックを受けますが、スタンプをポンポンと押すだけです。

 うーん、ますます国境のことがわからなくなってきました。
 帰国してから、もっとちゃんと調べねば。

 事前にもっとしっかり下調べをするか、現地で適切な人をつかまえてもっとズケズケ聞くか、最低どちらかが必要でした。どちらも半端だった……。

 そしてビデオ映像の記憶では、その国境は「ヨーロッパ・ピクニック計画」でみんなが通り抜けた国境ではないような……。

 これで国境がらみの取材は、とりあえず終わりです。

 あとはブダペストに移動して、思い出の地の変わり具合をチェックして、そして4日には日本に戻ります。
 余裕があれば、ブダペストのことなどもまた。

 そして、帰国後には、写真もアップしたいと思います。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 10:36 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 15 (川崎)

●ショプロン その1(10月30日)

【アップしている今の状況:1日/ブダペスト】

 ショプロンは、今回、いちばん楽しみにしてました。
 何といっても、「ヨーロッパ・ピクニック計画」の舞台の町。

 これは、NHK特集で取り上げられて何度も再放送されているようなので、見た方もいるかと思うのですが、ベルリンの壁崩壊のきっかけとなった事件です。
 私は旅行の前に、わざわざ、NHK放送博物館まで行ってビデオで再チェックしてきました。

 ざっと事件の概要を説明しますと……。

 東欧諸国で社会主義政権が倒れる直前、つまりゴルバチョフが登場した少しあとですが、ハンガリーやチェコスロバキアは、国内政権自体が開放路線へ、東ドイツは保守路線へ、という対照的な態度でした。
 東ドイツ政府は世界の流れが読めないまま、国家警察の国民に対する監視をますます強めたため、彼らに目を付けられてしまった人たちは身の危険を感じて、バカンスなどを名目に比較的行きやすかったハンガリーなどへ徐々に逃げ出します。アテもないまま。

 で、当時、すでにオーストリアとの鉄条網を撤去していたハンガリー政府や市民団体が協力して、東ドイツ国民を西側へ逃がす計画を立てた、というわけです。
 人道上の見地から、何の見返りも求めず。東ドイツとの関係が悪くなることも承知で。

 ハンガリー中の保養地などに「ヨーロッパ・ピクニック計画」というポスターを貼り、東ドイツの人たちにそこに集まるように呼びかけます。

 それが、ハンガリーとオーストリアの国境のショプロンです。

 政府は、国境警備兵に「何があっても手を出すな」と言い、そしてついに国境が開けられ、集まっていた東ドイツの人たちは半信半疑でそこを越え、あとは事前に連絡を受けていた西ドイツ政府が移送の手順を踏んだ、ということのようです。

 東ドイツ政府は、この騒動を沈静化させるために「近いうちに西側への通行できるようにする」と発表したところ、東ドイツ市民が8か所ある検問所に集まりはじめ、その勢いが止められず、ついに壁が開いた、と。

 どうも、誰ひとり予想しなかった展開のようです。

 そのきっかけの町、ショプロンです。

【ブダペストの通信事情】
 無線LANがひとつ表示されますが、どうもT-Mobileなどの購入&利用できるものではないようです。
 ダイヤルアップ接続していますが、「0発信」ではなくて、初めて「9発信」でした。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 10:35 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月30日

■ 国境現地報告 14 (川崎)

●通貨問題

 旅行の下調べをする前は、「あー、通貨がユーロで統一されているから楽ちん」と思っていたのですが、ちょいと調べてみると、私が行く4か国のうち、ユーロを導入しているのはドイツだけで、残りのチェコ、スロバキア、ハンガリーはそれぞれ独自の通貨でした。

※経済に強くない私は、これらの国々が、ユーロにしたくないのか、したいのにできないのか、それぞれのメリット/デメリットは何かがよくわからないので、帰ってちゃんと勉強しようと思います。すぐに説明できるよ、という方は、メールいただけるとうれしいです。

 しかも、ちょっと前まで同じ国だったチェコとスロバキアまで違っているなんて、どうしてそんなめんどうなこと……。

 おかげで、「いつ、いくら両替する(引き出す)か」を心配しながらの旅行です。

 とは言っても、実は、新生銀行で口座を開設してきたので、現地通貨で小さな単位で直接引き出せて、以前に比べるとずっと楽ちんです。

 数年前につくった「T/C」も持参しましたが、なんせ最低単位が1万円。3日しか滞在しない国だったり、そこの紙幣が海外では再両替できないものだったりしたら、ほんとにめんどくさい。

 そんなわけで、国外では再両替ができないらしいチェコやスロバキアのコルナは、ATMででちびちびと引き出しました。「PLUS」のマークがあるマシンなら、大丈夫らしいので。

money01.jpg
▲こんな感じのATMが、街のあちこちにあります。
これは、かなり趣あり、ですね。


 このマシンも、最初に利用するときは、ちょっとドキドキでした。「現地語でしか表示されなかったらどうしよう」とか、PLUSマーク以外はクレジット会社のマークばかりなので、「預金の払い戻しではなくて、キャッシングになったりしているのでは?」とか。
 心配性?

 でも、ネットバンキングの取引状況チェックで、ちゃんと口座から引き落とされていることが確認できたので、安心して使ってます。

 ちなみに、言語は選べます。日本語はないけど。
 そして、私が利用したマシンでは、チェコでは最低単位が200コルナ(約1000円)から、スロバキアでは最低単位が100コルナ(約400円)から、ボタン選択で引き出せます。
 マシンによっては表示以外の金額も指定して引き出せるようです。

 という便利なシステムがあるにしても、やはりムダなお金を残さないように調整するのは、なかなか難しい。

 スロバキアでは、最後の日に、財布に20コルナ(80円)しかないときもあって、すぐに200コルナをおろしましたが、それでも220コルナ(880円)。
 そんな所持金で平気でいられる自分が不思議です。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 16:18 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 13 (川崎)

●ブラチスラバ その2(10月29日)

【アップしている今の状況:30日/ショプロン】

 さてさて、ブラチスラバ。

 旧市街は、とても雰囲気のある路地が多くて、居心地がいいです。

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▲旧市街地の通りの様子。

 古い雰囲気とおしゃれな雰囲気を兼ね備えたカフェやレストランがたくさんあり、到着した日の夕方には、オープンエアのカフェでワインなどを飲んでみました。

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▲こんな店で昼間からワインです。

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▲ちなみに夜はこんな感じです。

 しかし、風邪がぶり返した感じがして、晩ご飯はホテルに帰ってとることにしました。

 で、スーパーに行ったのですが、キャビアの瓶詰めを発見してしまいました。
 50グラムで58スロバキアコルナ(240円)。おそらく安物でしょう。もしかすると、カニカマのような偽物かもしれません。でも、買ってしまいました。日本なら5,000円くらいしそうだし。
 そして、もちろんワインも買いました。

 その後、風邪の体にいいのかどうか、と悩んだのですが、「ま、卵酒みたいなもんだし」と、無理やりな解釈を加えて……。
 結果的には悪くなかったです。

 それから、ブラチスラバで困ったのは、小銭が確保できなくて、トラムやバスのチケットが買えないこと。

 自動券売機はたくさんあるのですが、とにかく使えるのはコインのみ。コインをつくろうと買物をするのですが、なかなかできません。原因は、20コルナ札。
 使っても使っても、こいつが登場して、なかなか18コルナ分(トラムなどの30分有効券)のコインが集まらないんですよ。

 でも、ブルノではあちこちで嫌がられた両替を、どこでもあっさりしてくれる感じ。早く頼めばよかった。

 ところで取材。
 ほんとに準備不足を痛感しています。帰国して、いろいろ考え直す必要がありそうです。このテーマで続けるのかどうかも含めて。
 なにせ、今の私の状態は、国境マニアとあまり変わらないかも。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 16:17 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 12 (川崎)

●ブラチスラバ その1(10月28日)

【アップしている今の状況:30日/ショプロン】

 食いしん坊の佐藤さんは、パリでおいしいものを探して駆け回ったのでしょうか?

 食に関心の薄い私ですが、いちおう、ちゃんと食べてます。
 スーパーで何かを買ってホテルで食べることもあれば、どこかレストランに入ることもあり、その割合は、街の雰囲気によって違うようです。

 プラハはほとんど外食、ドレスデンは半々。やはり観光の街のほうが、入りやすい店が多いのかも。
 でもいちいち量が多くて、でも残すのは悪い気がして、ちょうどいい量の1.2倍くらいだと、頑張って食べてしまうんですよね。2倍あるときは、もうあきらめますが。

Bratislava02.jpg
▲半分しか食べられなかったパスタ。
この200グラムが最小単位でした。


 さて、ブラチスラバ。

 到着した日の夕方、ブラチスラバ城の近くで、きれいな夕焼けを見ました。高速道路越しに見えた夕焼けは、それはそれはきれいでした。
 そういえば、この旅行中、初めて見る夕焼けかもしれません。

Bratislava03.jpg
▲ブラチスラバの夕焼け。

 私のすぐ隣りで、やはり夕焼けを眺めている女性がいました。地元の人か旅行者かは不明ですが、世界中でたったひとりでも、この瞬間を共有している人がいる、というのは、小さな幸せですね。
 特に最近、ちゃんと話をしていない私としては。

 ところで、ブルノのホテルで風邪で寝ているときに、NHK BSの「ようこそ先輩」で、菊地信義という装幀家が、谷川俊太郎の「生きる」という詩を取り上げて、小学生に装幀をさせていました。
 小学生は、その詩に出てくるフレーズを単に絵にするのだけど、菊地さんは、「そうではなくて、あなた自身が、『あぁ、自分は生きている』と感じる瞬間をまず考えて、それを表現してみなさい」といいます。
 小学生はそれぞれに考えて、なかなかユニークな「瞬間」を挙げます。

 それを見ていて、「はて、私は何だろうか」と、ホテルのベッドの上で考えていたのですが、ブラチスラバで気づきました。
 「あ、夕焼けを眺めているときだ」と。

 日本で、ときどきそう感じていたことも思い出しました。普段、そんなことは考えずに生活しているので。

 それから、この旅行中、どうも小沢健二の歌が、頭の中をぐるぐるします。
 全盛期には、ちょっと気持ち悪さのほうが先に立ってしまった彼も(ファンの方がいたらすみません)、今、曲だけをじっくり聴いてみると、なかなかいいものです。
 ちなみに、この旅行中に頭でまわっている曲は、「ぼくらが旅に出る理由」。当たり前すぎますか。
 でも、その曲の詞の一節にも、夕暮れの瞬間の美しさ(切なさか?)をうたった個所があり、奇遇です。

 ところで、ブラチスラバできれいな夕焼けを見て、「あー、7時間前に、日本でも同じように夕焼けがきれいで、それを誰かが眺めていたらいいな」などと思ったりもしたのですが、それではまるで阿倍仲麻呂ですね。
 あの、遣隋使だか遣唐使だかで中国に渡って日本に帰れなくなり、月を見て、望郷の念を歌にした……。

 ちょっと考えすぎ?
 私は、もう少し「いま」を旅したほうがよさそうです。

【ショプロンの通信事情】
 小さなホテルで、無線LANの表示でホテル名が出るのですが、電波が弱いのか、無線接続はできません。<
 ダイヤルアップ接続は問題なし、です。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 16:16 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月28日

■ 国境現地報告 11 (川崎)

●ブジェツラフ(10月26日)

【アップしている今の状況:28日/ブラチスラバ】

 さらに聞き慣れない都市名になりました。
 「Breclav」と書いて、「ブジェツラフ」と読むそうです。

Breclav01.jpg
▲これが駅の入り口です。
最近リフォームされたもよう。


 ブルノから電車で40〜50分の、国境駅です。
 27日の移動日には通るのですが、日帰りで来ました。荷物の心配やその日のチェックインの心配をしなくていいので、このほうが気楽に動き回れるかと思って。
 そして、気が向いたら27日の移動日には、スロバキア側の「Kuty(クーティ)」という国境駅に降りてみるか、と。

 前回のデェチーンのこともあり、やや不安もあったのですが、まあ、イマイチなら2時間滞在でもいいでしょう。ブルノの町もちゃんと見てないし。

 そうそう、前日の夜に、ブジェツラフにするかクーティにするか決めかねて、ネットで駅の名前と「国境」などの単語を入れてサイト検索をしてみたところ、いくつかのサイトがヒットしました。
 でも、だいたいが国境マニアの旅行記のようなページで、「この駅で乗り換えた」「国境を越えてスタンプを押してもらった」という情報はあるのですが、この町の様子はひとつもありませんでした。
 そういう町なのでしょう。

 それにしても、国境マニアってのはたくさんいるんですね。歩いたり列車で越えた国境の数をカウントして楽しんでいる人。いろんなマニアがいるものです。

 さて、ブジェツラフ。
 国内の人がたまに来る、小さな観光地、という程度でしょうか。

 でも、予想以上に気持ちのいい町でした。
 まず駅がこぎれいで、駅前は広く開放感があって、緑(というか黄葉でしたが)がたくさんあって、川沿いの散歩道が気持ちよくて、なかなかいい感じです。
 あ、単なる「観光」という視点に立って、ですが。

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▲公園もあり、気持ちのいい駅前の通り。

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▲散歩にはピッタリの川沿いの道。

 「デェチーンの町に1年住め」と言われたらどこかに逃亡しますが、この町なら、1年くらいなら我慢できるかも。うーん、それは言い過ぎか、1か月かな。

 で、気になっていた華僑問題。
 この町でも中華料理屋を見つけたので、入ってみました。

 翌日にはチェコを出るので、150コルナ(750円)くらいしか持っていなかったのですが、焼きそば59コルナ(約300円)と、ビール15コルナ(約75円)で、充分に堪能しました。

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▲焼きそばとビール。
焼きそばをフォークで食べる不思議。


 ここの主人らしき人は、無口で愛想のない中年男性でしたが、店を手伝っている娘らしい二人の女性は、愛想もよくて、中国語訛りのチェコ語を駆使して、サービスをしていました。
 地元の常連らしき人の子どもをあやしたりもしていたし。

 うーん、英語力があったら、いろいろ聞いてみたい。

 という体験もしたのですが、川沿いの散歩の途中に寒気がひどくなったので、2時間滞在でブルノに戻ったのでした。

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▲古いタイプの列車です。
コンパートメントタイプもあったので、
あえてそちらに……。


 それにしても、その町の印象を決めるものって、何なのでしょうね。

 佐野洋子のエッセイが好きでよく読むのですが、彼女はいろいろ海外にも住んだようですが、ドイツがぜんぜんダメだったそうです。死にたいくらいに合わなくて、ドイツを離れてイタリアに行った途端、すべてが美しく見えて、もう楽しくてしょうがなかった、と。

 私は、そういう感じ、実はすごくよくわかります。

 町に着いたときの天気とか、駅前の雰囲気とか、最初に声をかけた人が親切だったかどうかとか、そういうちょっとしたことも大きく影響するんですけど、どうも、町(国?)全体を覆う、何とも説明しがいたい雰囲気というのがあって、それが合わないときは、もう努力ではどうにもならない、と。

 そんなことを考えながら、ブルノのホテルで寝ておりました。

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▲ブルノのホテル。
ドミトリーを改装したらしく、
不思議な間取りでした。


※パソコンが、2回ほど、うまく立ち上がりませんでした。
 そして、聞き慣れない音をたてるときがあります。
 いつ、どうなるかわかりませんね。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 16:21 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 10 (川崎)

●ブルノ(10月26日)

【アップしている今の状況:28日/ブラチスラバ】

 どんどん聞き慣れない都市名になっていくでしょ?

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▲途中駅で、こんな名前もありました。
読み方、ほんとにわかりません。


 さて、佐藤さんはパリで楽しそうですね。
 私の旅は、楽しい面もあるのですが、「修行」や「苦行」のような気持ちになるときも多くて、次は誰かと一緒に、もっと明るくて楽ちんな国を旅しよう、と、ちょっと弱気になったりしています。
 それはハワイ?

 でも、言葉に関しては、「最近、習い始めたよ」という雰囲気の国のほうが、英語がつなたい人に対しても親切ですね。
 向こうもたぶん、多少のコンプレックスはあるだろうから。
 こっちも、「そうは言ったって、あなたの英語だってなまってますぜ」というやや強気な気分にもなるし。

 そんなわけで、ブルノのホテルのレセプションは、なかなかいい感じでした。

 さて、私はたいてい、ボリュームは絞ってテレビをつけたままで寝ます。日本でもときどきそうしますが、海外だとほぼ毎日。無音が不安だからでしょうか?

 で、ブルノで2日目の早朝、何となくテレビの英語音声が耳に入ってくるのですが、妙に聞き取りやすい。
 「あれ、私はたった1週間の旅で、英語のヒヤリング力が格段にアップしたのか?」と驚いたのですが、何てことはない、NHKのBSの英語のニュースでした。
 日本人の英語って、やっぱり聞き取りやすい……。

 そうそう、ここまでのホテルでは、中国や台湾などの中級以上のホテルでは当たり前に見られるNHKのBSが映らず、まあ、そういうものだろう、と思っていたのですが、なんと、このブルノのホテルで映りました。
 久々にしっかりと聞く日本語に、感動!
 ま、海外で朝の連続ドラマまで見たいとは思いませんが。

 さて、ブルノ。
 何かパッとしない町です。チェコでは第二の都市だそうですが、お城や立派な教会はあるのですが、それ以外は、何か寂れた雰囲気さえあります。

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▲これは確かお城なのですが……。

 駅で、大きな荷物を持った人がたくさん降りるのですが、彼らはどこに消えていくのでしょうか? 私は体調を崩して、あまり散策などをしていないのもあるのですが、町中で観光客をほとんど見かけないまま。

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▲駅前のトラムのあたりの様子。
マクドナルドが幅を利かせているようです。


 そうそう、しっかり風邪をひいてしまいました。鼻とのどとやや寒気という程度なので、薬を飲んで、早めに寝ましたが、旅先で午後4時にベッドに入るのもどこか寂しい。

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▲駅前の朝市を発見!

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▲並べ方がカラフルでていねいです。

【ブラチスラバの通信事情】
 いちおう、西側?のチェーンビジネスホテルのはずなので、当然無線LANが使えるだろうと思っていたのですが、どうやらダメなようです。
 あ、プラハでは、どうも私の手順が悪くて無線LANにつながらなかった気がしますが、ここでは無線LANの候補さえ表示されないので、たぶんダメなのでしょう。
 部屋の電話は普通のもので、ダイヤルアップ接続は、無事につながりました。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 16:20 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月26日

■ 国境現地報告 09 (川崎)

●プラハ(10月23日)

【アップしている今の状況:25日/ブルノ】

 今回の旅行では、7つの街に泊りますが、そのうちの4つは、国境に近い街として選びました。
 残りの3つは、ベルリン、プラハ、ブダペスト。
 ベルリンは、壁崩壊の前には都市が不自然に分断されて国境があった街なので、まだ、今回のテーマに通じるものがあります。

 それ以外の、プラハとブダペストは、かなり「郷愁の旅」です。

 さて、日本を発つ前に、プラハに関する映画を、いくつか観てきました。

 「プラハを舞台にした」というふれこみだったので、「9デイズ」まで観ましたが、これは、ただのアメリカ製のスパイアクション映画。ただこの映画を観て、解放後にもそれほど激しい乱開発が行われていないのがわかり、ちょっと安心しました。

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▲ヴルタヴァ川の中州の「射撃島」。
これはおそらく、
「9デイズ」の人質交渉の場面で登場した島。


 メジャーなものでは、「存在の耐えられない軽さ」「コーリャ・愛のプラハ」「プラハ」など。
 どれも必ず「プラハの春 & チェコ事件」が扱われています。
 「チェコ事件」というのは、1968年に、自由に向かいつつあったチェコスロバキアに、ソ連軍が軍事介入した事件です。

 この事件が、どれほどこの国の人の心を傷つけたのだろうか、と、一時期の中国映画に必ず文革が描かれていたことと重ねて、考えてみます。

 映画でもさんざん、ソ連の装甲車がバリバリとやってくるシーンがあったのですが、ふと、このプラハの街のどこでそんなことが起きたのかと不思議に思います。もちろん、ちゃんと調べればわかるのでしょうけど。
 今は想像するしかありません。

 ところで、プラハの街は迷路のようです。
 どこかの建物の入り口のようなのに、それが中庭のような場所につながっていたり、とにかくわかりにくい。
 でも、そこがたぶん、楽しいのでしょう。

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▲カフェの右側にある入り口は、実はただの抜け道です。

 石畳を走るクルマの音も、軽やかです。歩く足は痛いのですが。

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▲街中のほとんどの道が石畳になっています。

 石畳の道も古い建物の様子も、17年前とほとんど変わってないのですが、そのほかは激変です。

 街中カフェだらけです。いろんなところに英語の表示があります。店員はだいたい英語がわかります。たいてい、愛想がよくてフレンドリーです。両替の店が10メートルおきにあります。イタリア料理の店がいっぱいあります。中国人旅行客がたくさんいます。アフリカ系の人たちもいます。みんなの服装が西側とほとんど違いません。トラムに、ドイツ製らしき車両が導入されています。先進国との物価格差は、ずいぶん小さくなっています。

 そして、圧倒的な旅行者の多さ。首都機能もあり、普通の生活もあるはずですが、旅行者と旅行業従事者以外はいないかのような感じさえします。
 どこの国から、どのくらいの割合で来ているのか、知りたいところです。

 前回書いた、地下鉄やトラムのチケット問題さえ解決すれば、ナンバーワンに近い観光地になると思うのですが、それが残念です。
 私はたった3日間の滞在で、2回も検札にあいました。明らかな旅行者を特に狙っているようにも思えるのですが。

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▲トラムの車両が広告だらけなのも、
ちょっとアレかも……。


【ブルノの通信事情】
 部屋から市内通話ができないので(今どきフロント呼出し式)、「ダイヤルアップ接続ができない!」と焦りましたが、無線LANはありました。
 今度は最低単位が1時間で、178コルナ(約800円)です。もちろん「1時間分」ではなくて、「1時間有効」です。
 2泊するので、1回だけ接続する予定です。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 04:45 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 08 (川崎)

 今回も、ちょっと都市以外の話。

●華僑

 ドイツとチェコとの国境駅であるDecinという駅前の寂れた広場に、いくつか屋台が出てましたが、そこにアジア系のお店がありました。
 中国人らしき青年が店番をしていて、店の前を通りがかった私を少しだけ気にしていました。たぶん、東アジアの人間なんて、年に数名くらいしか来ないだろうという町だし。
(ドイツ在住のアジア人なら、たまに来るかも)

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▲これがその屋台。
青年は写ってません。


 駅前には中華料理屋もありました。

 そういえば、ドレスデンで時間が中途半端だったときに、駅前の「アジア・スナック」という店でフォーを食べたのだけど(ドイツまで来て)、店の人はみんな中国人でした。
 中国語訛りのドイツ語を話す店員と、日本語訛りの英語を話す私の、妙な会話……。

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▲ドレスデン駅前のお店と、そこで食べたフォー。

 ドイツとポーランドの国境の町であるゲルリッツでも、中華系の人を見かけました。

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▲ゲルリッツでは、市場の中国人のほうが印象的だったけど、
写真がないので、中華のお店の写真を。


 今回は、普通の外国からの旅行客は行かないような小さな町にも寄ってますが、どこにでも華僑はいます。

 でも、どんないきさつがあって、チェコの国境の寂れた町で暮しているのでしょうか?
 東京とかベルリンならまだポジティブな理由も想像できます。そして、マレーシアあたりなら、もっと小さな町にいてもぜんぜん不思議ではありませんが。

 そこが気に入って住んでいるのか、儲かるから(とは思えないけど)一時的にいるのか、生まれたときから住んでいるのか、よくわかりませんが、不思議です。

 不思議なだけじゃなくて、すごく暗くて哀しくて切ないストーリーがありそうで、辛くて考えられません。
 野望とか野心とかではなくて、仕方なく流れてきた感じ。私の勝手な想像なのだけど、自分の身に置き換えてみると、気分がどんよりしてしまった。

 うちの父方の祖父は、戦前に朝鮮半島、そして満州へと渡って駄菓子屋を開いていたらしいのだけど、その理由は、地元(広島)で同じような店を出している親族と競合してしまい、出ていったのだと聞いています。
 ちなみに、朝鮮半島(たしか平壌付近だったと思うのだけど)で商売がダメになったのは、生まれて間もない父が赤痢かにかかり、それが新聞に載ってしまい、客足がパタリと途切れたせいだそうです。

 そんなことまで思い出してしまった。

 そういえば、曾祖父もハワイに渡ったらしいし、母方の祖母も、結婚前に一時的だけど単身で釜山あたりに渡ったらしいし、私の中に、「異国」とか「国境」とか「移民」という言葉に、ロマンを感じる血が流れているのかもしれませんねー。

 日本にも多くの外国人が住んでいるけど、みんな、どんなきっかけで、どんな目的で来ているのでしょうか。

 気軽に楽しんでいる人もいるだろうけど、なんだか「異邦人の悲哀」を想像して、ひとり寂しい気持ちに拍車をかけてます。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 04:43 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 07 (川崎)

●防犯感覚と五感

 以前、ある写真家が、「作品を撮る神経と、雑誌の作例を撮る神経は違う」と言っていました。

 「自分の1枚の作品」を撮ろうとする感覚と、雑誌用に「同じ風景で絞りだけを変えた比較写真」などを撮るのは、確かに違うと思います。

 それと少しだけ関連させた話なのですが、旅先の「防犯感覚」と「五感」、私の場合は相容れないかも。

 もっと言えば、「防犯」や「間違えないで行動するための集中力」などを高めると、取材者(?)としての「観察力」や「五感」を動かす暇がなくなる、と。

 私の場合、日本にいても、何かすごく気になることがあると、人が話していることが半分耳に入ってなかったりすることがあるので、特にそうなのかもしれませんが。

 というわけで、「次に乗る電車はどれ?」とか「どこかで両替をしなければ」とか「ここはどこの通りだろうか?」とか「ここはカメラを取り出しても大丈夫そうだろうか?」とか、そういうことに神経を集中しているので、失敗はほとんどしないのですが、「この街は○○にようだ」「○○の匂いがした」「人々の顔付きが○○あたりで変わってきた」というような、すぐれた旅行作家が指摘しがちなことが、わりと抜けています。

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▲ドイツ国内線は、車両もきれいだし、
列車の行き先表示もわかりやすいが……。


 ほんとにきちんと取材するなら、優秀なコーディネーター兼ガイドと一緒じゃないと、ダメそうですね、私の場合。
 ま、一緒でもダメかもしれないのが、ちと寂しいとろこですが。

 そうそう、人の顔つきを見て「○○系である」とか、話している言葉を聞いて「○○語である」とか、パスポートをちらりと見て「○○の国籍の人である」とか、そういうことがわかれば、「ほぉー、このあたりに、××のボーダーがある」とわかるような気がするのですが、事前知識のないアジア人(私)がいきなり来てみても、そのあたりが弱いんですよねー。

 そうそう、今回はこちらに来てから、「うーん、よそんちのボーダーを心配しているよりも、自分の『言葉の壁』と、アジアとヨーロッパの壁を心配したほうがいいのかもねー」と思ったりしました。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 04:41 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月24日

■ 国境現地報告 06 (川崎)

 今回は、都市の報告よりも、一般的なことについて。

●チップ問題

 レストランのチップはさておき、駅のトイレのチップ問題。

 今のところ、駅のトイレを利用したのは、ドレスデン駅のみです。
 予想どおり、掃除のおばさんがいるのはいいとして、トイレに行く手前に入場ゲートがありました。
 ニューヨークの地下鉄の入り口などによくある(のか?)、コインを入れると3本のバーが回転して中に入れる方式。
 0.9ユーロ(約130円)です。

 1時間以上電車に乗るから、と思って利用したけど、どうやらあまり行きたくなかった感じで(と婉曲に)、「くそー、130円も出して損したぜぃ」という気分です。
 だって、トラムひと乗り1.4ユーロ(200円弱)を節約したりしているのに、これはないんじゃないか、と。

 日本だと、駅のトイレでそんなことしたら、それこそ「サービスが悪い」ってことになりそうですが、そのあたりの感覚が違うんでしょう。

 掃除のおばさんの収入は、雇っている側がちゃんと確保すればいい問題だろう、と。
 レストランの給仕のように、「いいサービスをありがとう」ということでもないだろうし。

 うーん、文化の違いとはいえ、ちょっと納得できません。

 ま、いいように考えれば、「トイレをまったく利用しない人と、トイレを頻繁に利用する人とが同じ料金なのはおかしい」という個人主義(使い方が違うかも?)の考え方でしょうか?
 「利用する人のみが維持費を払えばいい」という。


●地下鉄やトラムの支払いシステム

 中欧の国々では、たいていガイドブックに、「地下鉄やトラムは、入場の際には自分で改札スタンプを押す方式。利用者のモラルに任せてあるからで、検札が来たときに正しいチケットを持っていないと(改札してないと)、かなりの額の罰金を請求される」と書かれています。

 ベルリンでもドレスデンでも、だいたいそんな感じでした。ベルリンのバスだけは、例外的に乗車時にチケットを見せるシステムだったけど。

 さて、プラハ。同じシステムです。
 空港からホテルに向かうわずかな時間の間に、検索が来ました。けっこう細かく時間なども調べていました。

 というのも、プラハ市内の交通機関は、地下鉄やバスやトラムがあるのですが、チケットのルールはかなり複雑です。
 「乗換不可券」というのは、基本的に乗り換えできないけど、地下鉄だけは乗り換えできたり、でも4駅先までしか使えなかったり、改札後に30分過ぎていたら使えなかったりします。
 「乗換可能券」でも、平日なら1時間のみ有効、週末と祝日は1時間半有効、だそうです。

※これらは日本のガイドブックの情報です。少し悪口を書きましたが、語学力のない人間にはこういう細かい情報は貴重ですね。

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▲プラハの地下鉄のエスカレーター。
上から落ちると大けがをしそうです。
そして、プラハの一部のエスカレーターと、
ブダペストの大部分のエスカレーターは、
驚くほど速い速度で動いてます。
お年寄りは命がけかも。


 で、思うに、こんな変なことせずに、日本の地下鉄方式にしたら、と思うのですが。
 「利用者のモラルに任せる」などと言いながら、プラハあたりではかなり頻繁に検札をしているようだし、その人件費だってバカにならないのでは?

 よその国のシステムにケチをつけてもしょうがないけど、こういう複雑なシステムがわからない旅行客が罰金を取られたときに、その国に対する印象だって悪くなると思うのだけど。

 だから、日本の自動改札機をつくっているメーカーの方、こういう理由を挙げて、どんどん世界中に営業に出てください。よろしく。
 「利用者が便利でわかりやすいシステム」というのは、大事なのじゃないかなー。伝統とか言ってないで。

 ちなみにプラハは、地下鉄やバスやトラムで使える1日券や3日券があるのだけど、かなりの回数(1日7回くらい?)乗らないと、元が取れないようです。

 東京メトロの1日券って、どんなもんだったでしょうかね。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 14:30 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 05 (川崎)

●プラハ(10月22日)

【アップしている今の状況:24日/プラハ】

 プラハに入る前日の夜、夢を見ました。

 日本の友達の誰かが、「ヤン・フスが死んだよ」と連絡をくれたのですが、彼は、とっくの昔に死んでいるチェコの英雄。広場に彼の銅像が建っていて、ひとつの観光スポットです。

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▲これが、ヤン・フスの銅像です。
昨日、今日、死んだ人でないのは、
これを見ただけでもわかりますなぁ。


 きっと前日に、ガイドブックなどを読んでいたのと、プラハの2002年の洪水の話を読んで「こういう状況になったときに、それを知らずに旅を続けると危険だけど、日本に居る誰かがニュースを見て私に知らせてくれるだろうか」と思ったりしたことが原因でしょう。
 小さな悩みがすぐに夢に表出する私……。

 さて、ベルリンは肌に合わないと言いましたが、チェコに入った途端、言葉があまりに通じなくて焦りました。
 というのも、プラハに入る前にちょっと立ち寄った国境駅(Decin)では、駅の窓口やインフォメーションの人たちが、ドイツ語さえも怪しいようなので。

 とはいえ、プラハの観光業従事者はだいたい英語が話せるので、ほとんど問題ないのですが。

 さて、プラハ。
 17年前に来たときは、あまりの美しさに感動して、「次は、好きな人と来よう」と思ったのですが、またひとりで来てしまいました。

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▲丘の上の王宮を望む。とにかくきれいです。

 ずいぶん南に下りてきたせいか、暖かい。
 ベルリンでちょうどよかった上着が、ちょっと大げさに見えるかも。そして、半袖の人さえいました。これはたぶん、日本人には寒いはず。

 では、まずはホテルから。

 ドイツの2都市ではかなり近代的なホテルに泊っていたのですが、今回はやや違います。

 というのも、プラハのホテルはかなり相場が高いようで、予算はだいたい1泊8,000円以内を目指していたので、それで地下鉄駅などから近い場所を探すと、かなりこじんまりとしたホテルしかなかったのです。
 これはいちおう、abロードのホテル検索で探したところですが。

 ホテルの入り口は、看板がひとつあるだけで、ドアが開きません。不審に思って呼び鈴を鳴らすと、内側から開けてくれました。
 ロビーは4畳半くらいで、狭いです。

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▲入り方がわからなかったホテルの入り口。

 エレベーターは、自分で鉄の外扉を開けますが、内扉はありません。怖い……。

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▲エレベーターを外から眺めたところ。
この取っ手を引いてドアを開けます。


 部屋はエレベーターのすぐ横なので、ちょっとうるさい。そして、浴室のドアは、いちど閉めたら開かないのでは、と不安になるような感じなので、少し開けたままで使ってます。
 床は、歩くとあちこちが沈みます。
 天井は、普通の1.5倍くらいの高さ。ムダに高いです。

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▲室内はこんな感じです。
写真で見ると、そんなに悪くないが……。


 テレビは14インチで、リモコンなしです。まあ、CNNが映るのでちょっとマシですが。
 エアコンは、セントラルヒーティングのオイルヒーターですが、寒いです。フロントで苦情を言ったら、パソコンで各室温管理をしているようで、そのギャップに驚きました。

 かなり渋いホテルです。

 最初は設備的にちょっと失敗かな、と思ったのですが、何だか居心地がよくなってきました。フロントの昼間のおばさん以外は、みんなフレンドリーだし。

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▲渋いキーでした。

 で、ホテルは、ある地下鉄路線の終点駅の近くなので、わかりやすいのはわかりやすいのですが、東京で言うと「西馬込」くらいの感じです。
 近くにスーパーがありますが、普通の観光客は、もっと中心部に泊っているのでしょう。

【プラハの通信事情】
 ホテルでは、4つの無線LANが表示されるのですが、試しにどれかを選んでみても、「接続中です」と出るだけで、接続はされません。購入画面が出るわけでもなく、パスワードを要求してくるわけでもなく。
 なので、仕方なくダイヤルアップです。まあ、1分単位で使えるので、気楽なのですが。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 14:28 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月23日

■ 国境現地報告 04 (川崎)

●ゲルリッツ(10月22日)

【アップしている今の状況:23日/プラハ】

 ゲルリッツという、ドイツとポーランドとの国境の町に、片道1時間かけて行ってきました。

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▲国境駅、ゲルリッツの駅舎。

 この街も、古い教会などの街並みが残っていて、ドイツ人観光客がたくさん訪れていました。

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▲古い教会などが町のあちこちに見られます。

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▲いつでもどこでも見かける、ドイツ人団体旅行客。
たぶん。


 駅前の通りは、トラムも走る石畳の道ですが、その両サイドは、けっこうちゃんとしたショッピング街になっていたりします。
 ただの土産物屋ではなくて、いわゆる流行のファッションのお店など。

Gorlitz02.jpg
▲駅前の通りの様子。
トラムが走っていても、かなりのどかです。


 だから、夕方の駅に中学生3人組のようなドイツの女の子が買物袋を下げて立っていましたが、近郊からショッピングに来ていたのでしょう。原宿あたりに、少し遠くの子たちがやって来るように。

 さてゲルリッツ。
 町はずれの川の向こうがポーランドです。

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▲これが国境となる川。

 こちら側の岸には、ドイツの国旗を模した3色デザインの柱がいくつも立っています。そして向こう岸には、同じ大きさの、赤と白のシマの柱が立っています。ポーランドの国旗が思い出せないのですが、赤白の2色デザインでしたっけ?

Gorlitz06.jpg   Gorlitz07.jpg
▲これが国境を表わすらしい柱。川沿いに何本も立ってます。

 大きな橋がかかっていますが、向こう岸にのところに、4畳半程度の小さな簡易事務所が建っていて、どうやらそこが国境のようです。
 向こうからは、いかにも地元の生活者のような人が、パスを見せてやってきます。こちらからも、旅行客がパスを見せて向こうに行ったりします。EU統合で、すっかりボーダーレスのようです。

Gorlitz08.jpg
▲これが橋の向こうの簡易事務所。
事務所前までは自由に行けます。


 私もそこから越境できないか尋ねてみたのですが、どうやらここは、EU加盟国のみのようです。「ここから500メートル下流に橋があるから、そこからなら入れますよ」と言ってくれたので、そちらに行ってみました。軽く1.5キロくらいありましたけど。

 そして、パスポートを見せると、ちょっとスタンプを押したりする程度で、何か書類に名前や申告するものを記入する必要もなく、すんなり通れたのでした。係官は、すごくフレンドリーだったし。

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▲これが歩いて越えた国境の事務所。
クルマはもちろん、人も多数、越境してます。


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▲国境の橋の歩道です。ちょっと味気ない。

 今思うに、国境を歩いて越えたのは初めてかも?
 その感慨は薄いのですが、そのあたりは、また改めて。

 ところで、なんだか「国境取材」というよりも、「国境マニアの呑気な撮影旅行」のようなテイストを帯びてきました。うーむ。
 いろいろ模索中です。

(次回へつづく、かも)

posted by 「辻行燈」 at 14:24 | かわさき話/国境取材の現地報告

■ 国境現地報告 03 (川崎)

●ドレスデン(10月20日)

【アップしている今の状況:23日/プラハ】

 ドイツのテレビでも、「ファイナルアンサー」をやってます。
 司会は、日本のあの人よりもずいぶん若くてカッコいい人だけど、答えを待つときのあの目付きがほぼ同じでした。

 さて、ドレスデンに移動して来ました。
 たった2時間の列車の旅でしたが、ちょっとドキドキです。乗る列車に間に合うか、違う列車に間違えて乗ってしまわないか、降り損ねないか、正しいチケットで正しい席に乗っているか、途中でトイレに行くときに荷物はどうするか、といった、飛行機では心配しなくてもいいことがたくさんあります。
 座席指定のシステムが日本と大きく違う、ということは事前に知っていたのだけど、それでもわかりにくかった。

 ま、何とか無事に到着しましたが、日帰りのお出かけを含めて、こういう列車の旅があと6〜7回あります。
 そのうち少しは慣れるのでしょうか。

 ドレスデンの街は、単に「国境の町へ行く基地」のように考えていたのですが、半日ほどうろうろしてみると、観光にはピッタリの街です。
 古い時代の荘厳な建物が、わりと狭いエリアに集中しています。宮殿や城や教会など。石畳の道は雰囲気があるし、「ミニ・プラハ」という感じかも。

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▲街の中心にある広場。

Dresden03.jpg
▲石畳とトラムの線路がいい感じです。
ママチャリも走ってないし。


Dresden04.jpg
▲ホテルの部屋から眺めた街の様子。

 ベルリンでは、わりとメジャーな観光地にも行ったのに、ほとんど日本人に遭遇しませんでした。
(見るかぎり、中国人ばかりです。20年くらい前の日本人のような感じでしょうか? そのころの日本人よりも、そして今の日本人よりも、おそらく彼らのほうが英語が堪能かと思いますが)

 が、ドレスデンでは、わりとあちこちで見かけました。同じホテルにも、日本人団体旅行客が泊っていました。
 まあ、街自体が小さくて、行ける観光スポットが限定されていることや、ホテルの数も限られていることなどが原因でしょうけど。

 そうそう話が変わりますが、ドイツでは、夜景撮影の正しいノウハウ普及率(&実行率)に感動してしまいました。
 夜景を撮る場合、大多数の日本人は、ストロボをたいてしまったり、たかない人も手持ちでブレブレの写真を撮っていると思います。三脚が必要なことを知っている人でも、「まあ、旅行にわざわざ三脚を持って行かなくても」とあきらめたり。
 だけどベルリンで夜景のきれいなスポットに行ってみると、三脚持参の観光客がすごく多かった。カメラ自体は、小さいコンパクト・デジカメだったりするのに、かなり立派な三脚を持っていたりします。
 さすが「ライカの国」です。

【ドレスデンの通信事情】
 ベルリンでは、思わず高額の通信費を使ってしまったので、ドレスデンでは節約して、30分のみの無線LANを購入。でも、4.5ユーロ(600円強)も使ったのですが。

(次回へつづく)
posted by 「辻行燈」 at 14:23 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月22日

■ 国境現地報告 02 (川崎)

●ベルリン(10月19日)

【アップしている今の状況:21日/ドレスデン】

 まずはベルリンというよりも、自分の旅のスタイルについて少々。

 久々のひとり旅なので、どういうふうに行動するか、まだ調子がつかめません。

 それから、行動以上につかめないのが、どういう写真を撮るのか。
 取材のつもりはもちろん、来年の「辻行燈」用にと思って、かなり撮る気でやって来たのですが、ふと気がつくと、観光写真やガイドブック用のようなものばっかりを撮っていたり、たんなるきれいな自然風景を撮っていたりして、「あれ、これは私が撮りたい写真だろうか?」と不安になっています。
 いや、明らかに違うのだけど。

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▲ガイドブック用写真かも?

 去年の「辻行燈」に出展していたスペインのモノクロ写真のようなのを目指しているのですが、あれはまぐれに近いんですよねー。

 さて、ベルリン。
 私が泊まっているホテルは、旧東ベルリン側の、アレキサンダー広場にすごく近い場所にあります。

 17年前は、東ベルリンに泊ろうとしてうまくビザが取れなくて、1日観光しかできなかったので、そのときのリベンジみたいなもんですが。

 部屋の窓から、テレビ塔が見えます。
 東京タワーの真ん前のホテルに泊っているようなものか。

Berlin03.jpg
▲これがテレビ塔です。ホテルの窓から撮影。
手前のビルが改築中。


 当然ですが、激しい建設ラッシュが起こっているのは、旧東側です。
 でも、古い歴史的建造物はちゃんと残っているので、「根こそぎ」というわけではありません。
 そのあたり、日本とちょっと違うかも。

 昨日、ふと思い立って登ってみたポツダム広場の展望台が、予想以上によかったです。

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▲この右側のビルに展望台がありました。

 建物の外のベランダ部に出られるし(ガラス越しではなくて)、そこから見える建物が何なのかわかりやすく表示されているし(ドイツ語だけど)、昔のベルリンの壁がどこにあったのかも一部表示されているし、そして何より、市の中心にある広大な森を目の当たりにして驚きました。
 新宿御苑どころじゃないんですよ。たぶん。

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▲展望台からの眺めと、壁の場所がラインで描かれたマップ。

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▲ベルリンの深い森。

 それにしても、自分の「知識」を元にした気分的なものでしょうけど、あの西ベルリンにあった「閉塞感」「息苦しさ」というのが、すっかりとなくなっています。
 でも逆に、東側の再開発が目立っていて、ちょっと「取り残された古いエリア」な感じもしますが。

 そして、これは22日現在の感想ですが、私はベルリンの街、肌に合わないのかも。
 旅慣れていなかったせいか、あるいは都会すぎてしんどかったのかわかりませんが、けっこう気分的に落ち込んでました。
 が、ベルリンを出た途端、気持ち晴れ晴れ、すっかり楽しい旅気分、です。そのうち、原因をじっくり考えてみます。

 では、ベルリンの有名な場所の写真など。

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▲ベルリンの壁は、100メートル分くらい残っています。
壁博物館から。


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▲ブランデンブルグ門。
旧東側だったため、17年前は門まで近づけませんでした。
夜景は、カメラ手持ちでテキトーに撮影。


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▲ウンター・デン・リンデンという通り。
鴎外の『舞姫』にも登場します。
ここは、17年前にも撮影したポイント。


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▲2005年の春に完成した、ホロコースト記念館。

【ベルリンの通信事情】
 ベルリンで24時間分買ったつもりの無線LAN、コマメにログアウトをしていたのだけど、「24時間有効」の間違いでした。
 ま、旅先であまりパソコンに向かっていても仕方ないし。
 旅先写真のアップも、帰国後になる可能性大、です。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 03:52 | かわさき話/国境取材の現地報告

2005年10月19日

■ 国境現地報告 01 (川崎)

●ベルリン(10月18日)

【アップしている今の状況:19日/ベルリン】

 カバンに荷物が入って、ホッとしました。

 キャリー付きのスーツケースというのがどうも嫌で、今まではすべてソフトスーツケースで旅行をしていたのですが、さすがに今度は大荷物です。
 というのも、やはりパソコンとデジタル一眼レフを同時に持参するため。これは、国内・国外問わず、初めてだと思います。

 で、ピギータイプを初めて買ったのだけど、やっぱりできるだけ小さなのにしたいし、でも、キャリー装置?のために、見た目と比べると容量がけっこう小さいんですよね。

 そんなわけで、荷物が全部入るのか、前日まで心配していたのですが、かなり余裕でした。ま、機内持ち込みをしたパソコンを入れてしまえば、けっこうパンパンだったのですが。

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▲これが今回のバッグです。
小さいわりにはたくさん入ったし、使いやすかった。


 うちから最寄り駅まで、ベルリンの空港からホテルまで、やはり楽でした。
 ホテルを探して少しウロウロしたのですが、キャリー付きって、ステキ!(不自然なノリ)

 さて、ベルリン。
 寒いです。
 12月の東京並みと聞いていたのですが、到着した日は夜7時くらいにもかかわらず、そうでもない感じ。
 でも、昨日、昼間でも冷たい風が吹いてきて、服がもう1枚欲しいところでした。

 そして、ベルリンの街。
 当然ですが、驚くほど変わっています。普通の街でも、17年も経てば変わるでしょうけど。
 ドイツの行政機関がボンから移動してきたころ、すごい勢いで工事が行われていたのはニュースなどで知っていましたが、今でも、街中クレーンだらけです。
 何か大きな建物を撮ろうとすると、クレーンなどが写真に入ります。それが「現実」だと思って、わざと入れて撮ったりしてますが。

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▲観光遊覧船の上から撮影。
新しい中央駅の建設現場なのではないかと思います。


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▲ベルリンの壁があったあたりは、
まだ開発中のところもありました。
ここはまさに壁のあった地点。


 17年前に写真を撮った場所を再訪してみましたが、工事中だったり、カフェができていたりして、同じアングルから撮れないのが残念です。
 壁のあったあたりは、もうぜんぜんわからないほど変わっているし。

 しかし、歩きすぎで体調が悪いです。
 今年の夏に悩まされたじんましんが、脚に再発しました。足にはピッタリだけど靴底が薄いクツのせいか、足の裏が痛いです。
 大荷物を持ち歩くので、肩こりと頭痛が頻発しています。

 そして、もともと食に関心が薄いのですが、いろいろめんどくさくなって、すごく手軽のものを食べて過ごしています。カフェでサンドイッチとか、スーパーで買ったお総菜とかで。

 まあ、まだ15日も残っているので(というか1日しか経ってないので)、あまり無理せず、ボチボチ行こうかと思います。

(次回へつづく、かも)
posted by 「辻行燈」 at 14:31 | かわさき話/国境取材の現地報告
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